ニューヨークの古い地図(17世紀~)

ニューヨークの中心マンハッタン島の古地図(マップ)です。世紀ごとに古いものから並べています。街が南から北に発展していく過程がよく分かります。

マンハッタン島の地図

1642年のニューヨークの地図

マンハッタン島は南端のここから北へ北へ発展した島。1609年、オランダの東インド会社(ヘンリー・ハドソン)が発見して、1614年にビーバーの毛皮貿易のために街を作ったのがニューアムステルダムの始まりだった(*歴史解説)。この地図は、入植から30年近く経ったマンハッタン最南端(ニューアムステルダム)の姿。まだウォール街の原型となる羊囲いの柵が街の北端に見受けられない。現ブロードストリートは運河が流れており羊を飼う牧草地だった。

17世紀のニューヨーク

1674年のニューヨークの地図

1664年、イギリス軍の上陸によりオランダからイギリスに主権が変わった。この地図はそれから10年が経った時の姿。地名も時の英国王チャールズ2世の弟、ヨーク侯にちなんでニューヨークとなっている(*歴史解説)。ブロードストリートにはまだ運河が存在する。街の北端、羊囲いの柵はインディアン防衛の壁となり、さらにイギリス統治下のこの時期には壁は撤去されウォールストリートとなっている。ウォール街と島の周り全てを防壁が取り囲む砦のような街だった。

ニューヨーク1674年の地図

1728年のニューヨークの地図

街を取り囲んでいた防壁は取り除かれ、これまでの街の北端だったウォール街よりもさらに街が拡大している。ハドソン川沿いにはイギリスの植民地らしくKing’s Firm、王様の農園とある(現イギリス国教会)。東側のイースト川沿いが港となり街も発展している。

1728年のニューヨークの地図

1776年のニューヨークの地図

アメリカがイギリスに独立戦争をしかけた翌年、1776年のニューヨークの地図。ちょうど独立宣言が発布された年で、イギリス軍がブルックリンに上陸し、マンハッタンのミッドタウンから侵入しハーレムハイツの戦いでワシントン率いる大陸軍が初勝利を収めた年。ソーホーからグリニッジビレッジあたりは黒人奴隷の耕すタバコ畑。北のハーレムまでブロードウェイ(ブルーミングデールズ・ロード)で繋がり小麦畑などの農作地帯が広がっていた。

1776年のニューヨーク地図

1797年のニューヨークの地図

アメリカがイギリスから独立し連邦政府がニューヨークからフィラデルフィアに移った後、まだワシントンDCに移る前の時期。建国時のニューヨークの重要人物は、先ず第一に、アメリカ建国の父で元祖ニューヨーカー、アレクサンダー・ハミルトン(*歴史解説とツアー案内)。時の副大統領でハミルトンを決闘で殺害した、アーロン・バー。米国初代最高裁長官のジョン・ジェイ、後にエリー運河を建設するニューヨーク市長、デウィット・クリントン等がいた。当時、ハミルトンはハーレムの自宅よりブルーミングデールズ通り(アッパーウエストの現ブロードウェイ)を通ってウォール街のニューヨーク銀行まで馬車で通勤していたという。後日、1811年の都市開発により、このマンハッタン島は北端まで碁盤の目に区画が整備されることになる(Grid)。

1797年のニューヨーク地図

※ 編集後記
ニューヨークの歴史を地図で見ていくのも面白いでしょう。ニューヨークの歴史もたいへん面白いです。世界中の人間が何も無い所に集まって、街や生きていくシステムをゼロから喧々諤々と作り上げていきます。近現代の人類の歴史、その縮図のようにも考えられます。是非ニューヨークの歴史もご覧下さい。

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