早朝から鳴り止まないスマホのアラート音で目が覚めた。
スマホには、三浦春馬さんが亡くなったという知らせがたくさん入っていた。
寝起きの頭で考えても理解できず頭が真っ白になった。
あっとニューヨークには春馬さんの思い出がたくさん詰まっている。
春馬さんは、あっとニューヨークのオフィスにもよく遊びに来てくれていた。
キンキーブーツのミュージカルのレッスンに来ていた際はニューヨークにひと月程滞在していた。
当時、レッスンを受けていたトレーナーの声が出なくなったことでレッスンを受けれなくなり、あっとニューヨークのオフィスでボイストレーニングをしていた。
こちらのスタッフが横で仕事をしていても、本人はそれも意に介さず熱心に大きな声量で歌を歌っていた。
凄い迫力だった。必死だったのだと思う。
彼はいつも必死だった。真剣に生きていた。
真面目な方だった。
何度も一緒に食事に行ったりミュージカルを見にいった。
キンキーブーツでドラッグクイーン役を演じるとのことで、オフィスの皆で女装してドラッグクイーンパーティーにも行ったことがある。
舞台のため女装の予行練習である。
ヘアサロンでメイクをして貰い、女装した格好のまま食事に出かけてスタンダードホテルのラウンジで開かれているパーティーに参加した。
春馬さんはモテた。実際に誰よりも美しくなりすぎた。
男性トイレでゲイに囲まれて大変だったとか。
その日は女装したまま家まで歩いて帰ったとか。
日本だったらできないこともニューヨークではできてしまう。
春馬さんはそんなニューヨークが好きだったのだと思う。
休話だが、そのパーティーに誘ってくれたゲイの知人も先月に亡くなったばかりだ。
コロナといい、今年はさんざんな年だ。
以前、僕らはParamourというミュージカルのレセプションパーティーに出かけた際、そこでスペイン人と知り合い、皆でミュージカルを見た後食事に行った。春馬さんもそのスペイン人とは仲良くなり、彼らが日本に遊びに行った際には東京を案内してあげたりもしていた。日本人を案内したこともないのに外人に東京を案内するとは思っていなかった。なかなか日本を説明するのは難しかったけどいい経験になった、と春馬さんは語っていた。そのスペインの知人からも先程連絡を受けたばかりだ。当然だがとてもショックを受けていた。
ある年の年末、春馬さんはニューヨークにカウントダウンを見にくることになっていたが、その知人に会うために先ずスペインに寄ってからこちらに来ることになっていた。そこで珍事が起きた。
バルセロナでNY行きのフライトに乗れずイスタンブール経由の便に振り替えたとLineで連絡があった。30日には来れるからと心配はしていなかったが、今度はイスタンブールでフライトを逃したと連絡があった。何でも飛行機の出るゲートにいたのだが、英語の勉強をしていたら、搭乗が始まっていることにも気づかずフライトが出てしまっていることすら気がつかなかったらしい。彼にはそんなところがあった。集中力が凄まじいのだ。そして海外で2度もフライトに乗り損ねてもなおカラッとした爽やかさがあった(トルコでフライトを逃した際の春馬さんからのLine「I missed my flight again です。Really stupid of me… 笑」、無事フライトに乗った後のLine「今、飛行機に運ばれているのでご安心をーーー 笑」)。ユーモアまで交えてあるのだ。
大晦日の夜、無事にJFKに着いて、そのままあっとニューヨークのオフィスに来て貰い、皆で年越し蕎麦を頂き、タイムズスクエアー近くで新年を祝った。その後、メジャーリーグ関係者やニューヨーク在住の芸能人等も来てくれて、あっとニューヨークのオフィスはとても賑やかな新年を迎えた。朝まで飲んだ。一年の始まりとしてはこれ以上ない素敵な時間だった。
あっとニューヨークには春馬さんの思い出がたくさん詰まっている。
春馬さんのあの憎い程美しい笑顔も、芸能人とは思えない人懐っこさも、レッスン中の真剣な姿勢も、大きくて美しい歌声も。すべてがこのオフィスに残っている。
春馬さんにはもう二度と会うことができない。
僕はただその事実を受け止めることができないでいる。
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